テレビをチューナーレステレビに変えたけど、そんなに見ていない。
子供達がお気に入りのアニメを、『Amazonプライム』と『TVer』でちょっとだけ見るくらい。
ひょっとしたら、もう我が家にはテレビは必要なかったのかもしれない。
テレビをつけっぱなしにしないというルール
それは、我が家ではもう数年にわたって、見たいテレビ番組しか見ないといルールを作っていたからかもしれない。
それ以前は、テレビはいつもつけっぱなしだった。
毎日、朝・昼・晩のニュース番組を欠かさず見ていたし、居間にいる時には必ずと
言って良いほどテレビがついていた。
垂れ流しのテレビに垂れ流しの広告。
美味しそうなビールのCMに購買意欲をそそられ、新商品の味を試したくなる。
料理番組で紹介された料理を作り、DIYの番組を見て紹介されていた電動工具があれば自分も一人前の職人になってDIYができると思い込む。
音楽番組を見て、最新のヒット曲を覚える。
そんな毎日だった。
「テレビを見ながら食事をする」それが家族の団欒だと本気で思い込んでいた。
きっかけは戦争だった
テレビを見なくなったきっかけは、ウクライナ戦争だったと思う。
毎日悲惨な戦場のニュースが流れていた。
モザイク加工された戦場の映像が流れ、人々のコメントが流れた。
「早く戦争が終われば良いのに」と願いながら、「自分が住んでいる国のことじゃなくて良かった」と安堵した。
関心があっても、終わらない戦争とニュースを朝から見続けるのは気が滅入る。
朝から子供達に、そんな悲惨なニュースを見続けさせるのが嫌で、朝のニュース番組を見るのをやめた。
ニュースを見なくなってからは、時事問題は新聞で確認していた。
最初のうちは、新聞に載らない地元の事件・事故の話題についていけなかった。
「これって社会人としてちょっとまずいかな」と思ったけど、別に四六時中時事問題や事件・事故の話をする訳でもないし、大きなことは人が教えてくれた。
「もうこれで良いか。」とすぐに慣れた。
それでもテレビを捨てるのに、数年かかった。
見ていないのに、テレビを捨てなかった。
ミニマリストの本を読んでいなかったら、まだテレビは持っていただろう。
そして、今でも見ないテレビの為に、NHKとケーブルテレビの料金を支払い続けていただろう。
それくらい「テレビがない」というのは普通じゃないと思い込んでいた。
テレビがあるのが当たり前で、そんな普通じゃない暮らしを子供達にさせてはいけないと思い込んでいた。
もうこれは、思い込みというよりも『暗示』だ。
子供の頃からずっとそんな生活を繰り返してきて刷り込まれたもの。
ちょっとやそっとじゃそこからは抜け出せない。
だからテレビを捨てるのに数年かかったに違いない。
テレビを捨てても何も困らない。
むしろ、テレビに奪われていた時間が自分の時間になってとても快適だ。
NHKもケーブルテレビも払わなくて良くなって、経済的にも少し楽になった。
広告に惑わされた買い物も減って、さらに経済的に楽になるはずだ。
もっと早くやめれば良かった。
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